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主婦の立場で「生産性」を考える

自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の「生産性がない」発言に批判が上がっていますね。この「生産性がない」という言葉には、違った場面での苦い思い出があって過剰に反応してしまいました。

 

「主婦って働いてないのに、お金使うだけで生産性がないよね。」

 

これは長女が1歳になったばかりの頃に、主人が放った言葉です。

主人に悪気があったわけではないけれど、とにかく私は奈落の底に突き落とされたような感覚に陥ったのを覚えています。

都会に出てきてから出産までずっと会社勤めだったので、近所にママ友もおらず、孤独な育児と格闘して1年。

引っ込み思案の私にもやっと友達ができ、肩身の狭い思いをしながら子連れでランチに行った直後に言われた言葉です。

 

「どう感じるかは個人の自由だけど、それを言われた人がどう感じるかは考えた方がいいよ」と、涙ながらに訴えました。

 

 

では、「生産性がある人」とはどういう人なのでしょうか?

野菜など、何かを生産することができる人?

労働し、対価としてお金がもらえる人?

工場でモノを作る人?

オリンピックでメダルを取る人?

子供をたくさん産む人?

 

目に見える対価やモノが得られることを、「生産性がある」という風潮がありますよね。

 

 

以前、「主婦の仕事はマイナスをゼロに戻すこと」という記事を読んだことがあります。生産性だけで考えると、「ゼロ=なし」です。

家庭に入った途端に感じる空虚感は、ここから来るのかもしれません。

私のように、子育てが始まってからハンドメイドにハマる人が多いのは、時間だけ経って何も残らないのが怖くて、何か「モノ」を残したい欲求の現れなのかもしれません。

今、私がブログを書いているのは、「生産性がないように見える日々」の意味付が欲しくて、文字として記録に残しているのかもしれません。

 

本当は、「育児」や「家事」という価値が大きく素晴らしい仕事をしているのに。

 

 

今回の一件で、多くの人が「生産性」という言葉に過剰に反応し、もがき苦しんでいるように感じます。でも忘れてはいけないのは、人は誰しも何らかの形で社会の恩恵を受け、社会に恩返しをする形で生活をしているということではないでしょうか。生産性だけが全てではありません。

 

大都会でビジネスの最先端にいる人も、自分の足で一歩一歩努力を重ねてゆっくり生きている人も、同等に尊く価値がある人間です。

みんなが気持ちよく生活するにはどうしたら良いか、お互いに譲歩しながら考えられる社会になることを、切に願います。

 

 

ところで、目に見える「モノ」が生産性の象徴ならば、冒頭の言葉を発した主人には、ずっしりと重い子供達の成長記録アルバムを見せてあげようかしら。でも、画像データはパソコン内で蓄積されて、イマイチ目に見えません。

それでは、スクラッピングブックでも始めようかしらなどと考える私は、やっぱり生産性を過剰に意識しているのかもしれません。